栄蔵小屋
(ふるさとの昔)
平安時代末期の頃、栄蔵法師という修験僧が、田尻の小島に小屋を作り住んでいた
と伝えられ、長くこの島は栄蔵小屋と呼ばれてきました。徳川光圀が、この島に
橋を掛けて渡ったとする故事もあります。
たじりの風土記より
江戸時代の天明年間には松ノ木も繁っていて津の宮の祠があり、「ぐみ島」とも呼ばれたそうですが、
天保4年の大暴風雨で崩れ、 今はこの島は海中に姿を消してしまっています。
今ではここに堤防が作られ、そばの丘には津の宮の碑がたっています。
近くの鵜の島温泉には、栄蔵法師と西行法師がその海辺にある裸島を詠みあった歌が刻まれた
歌碑があります。
田尻八景では「栄蔵小屋の帰帆」と、「裸島の秋月」がとりあげられています。
神峯町の堀辺武さんは栄蔵小屋・度志観音への道標について、水戸彰考館員の川上櫟斎が享保15年
(1730)の秋、岩城湯本温泉に湯治の旅をした時の記録である「岩城便宜」に、
この道標を見て櫟斎が廻り道をして度志観音と栄蔵小屋を訪ねた記事があると述べられています。
(「あしなか通信」第2号(1997))
この道標は今でも県道10号(日立勿来)線滑川十文字バス停の北側150mの道路端にあります。
大小ふたつの石塔が並んでいますが、大きい方には「度志観音まで11丁、栄蔵小屋まで21丁」と
刻まれています。
栄蔵小屋跡と津の宮の碑がある岡 道標
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